A fact of life

25歳 院生 直面している現実

思いの丈をぶつけること

フィンランド生活も折り返し地点を過ぎて、

授業も残すところ後一つ。これといったイベント事ももう一つや二つ。

ここまできたらやることをやるのみ。

残りの余生ならぬ余留学生活をいかに過ごすのかっていう事に考えがよってます。

こっちきてから思った事はいろいろあるけれど、まぁ留学してよかったなと。

というか留学わざわざしてしなきゃよかったってなるケースってよほどひどい目に合わない限りはないんじゃないかと思った。

もちろん自分は良かったと思っているけど、良い事ばかりじゃなくてそれなりに苦い経験もしているわけです。

苦い経験の話についてはざっくりいうとグループワークで自分の意見を通す事ができなかった、っていう話で。ひとえに英語力の話になるわけだけど。

生まれてこのかたいわゆる「海外経験」というものなしで日本で生きてきた人間が、

ヨーロッパの、英語に近い環境で生きてきた人間と同レベルで話せるかって言われるとそんなはずもなく。日常会話くらいならなんとかできても、大学の授業のディスカッションでは太刀打ちできないわけです。地元(日本)じゃ負け知らず、(と思ってた)自分も、井の中の蛙大会を知らず。フィンランドで大敗を喫したわけです。

「英語ができない」っていうことでここまで打ちのめされた気分になったのは初めてじゃないかもしれないけど、おもくそダメージを受けたのは久々な気が。

やっぱり日本は英語できなくてもなんとかなるんだなと思いつつも、海外じゃそうもいかないわけであって。かといってもう英語「だけ」に時間を費やせるほど自分は若くない事にも気がついていて、日本でやっていくこと、端的にいえば日本でしかやっていけない事に気がつかされた瞬間でした。打ちのめされた。

日本で生まれて日本で過ごす事の意味合いがよく感じられたというか、

大学四年のうちに留学これてたらまだ何か変わっていた気がしたけれど、

大学院2年(三年目)ではもう変わる余地は残されていないのかなと、漠然と思いました。それに関しては別にどうこう思わないけれど、そこを、限界を知るという意味では十分に意味があったのでしょう。

残り数日ありますが、きっとこの留学にまた別の意味を付与する事になると思います。

経験に意味を付与する事でいろんな解釈ができたり、自分の言葉で誰かに語れる事が大事なのかもしれないですね、とくに教育に関わっている人間からすると。

終焉のカウントダウン。あと43日。