A fact of life

25歳 院生 直面している現実

MONSTER IDOLを見て思ったことをまとめてみました。

遅ればせながらMONSTER IDOLを拝見しました。

自分は水曜日のダウンタウンのファンで、毎週欠かさずみていたんですが、

留学中見れていなかったので帰国してから一気見した。t

witterなどでその噂は聞いていたけど、

視聴する側がものすごいエネルギーを必要とする作品だったと思います。

今の時代テレビがオワコンだなんだと言われていますが、毎週twitterのトレンド入りしているのを見るとテレビも終わったもんじゃないし、正々堂々コンテンツで話題になっていることがテレビ番組の希望のように感じます。

クロちゃんは「水曜日のダウンタウン」によってその存在感を高め(厳密に言えば藤井健太郎作品の流れだが)現在日本のお笑い芸人でも屈指の「嫌われ者」でしょう。

計算にせよ素でやっているにせよ恐ろしい。

さて、今回のMONSTER IDOLも前回のMONSTER HOUSEにせよ面白かったのですが、

若干もやもやが残りました。良いところと悪いところ?をざっくりまとめてみます。

 

まず賞賛すべきはやはりクロちゃんの恐るべき「人間性」。

あれが演技でやっていたとしても、女性ゲストを怒らせ本気で気持ち悪がらせる。

演技でやったとしてあれだけ嫌われる事が出来る人がいるだろうか。

彼の芸?の特徴である高い声にそのギャップの坊主頭ヒゲ。

もはやクロちゃんの高い声に違和感を抱く人はいなくなるレベルで浸透していて、天が彼に二物も三物も与えたと言っても過言ではない。

怪物というか傑物が誕生したのです。あそこまでいけばむしろ清々しい。彼の類稀なるキャラクターによりこの企画が成り立っていると言っても過言ではないです。そのキャラクター性によって彼のモロ出しになっている「性欲」がオブラートに包まれていて、逆に生々しさを感じないで済む。多分他の男が若い女に盛ってるのなんて気持ち悪くて見てられないと思うんですよね。その点で言ってもクロちゃんは本当にすごい。

 

また企画そのものの面白さ。それだけの嫌われ者であるクロちゃんにアイドルのプロデューサーをさせるといういやらしさ。この根底には日本でのアイドルとプロデューサーの関係性を冷静に考えたら「あれ?おかしくない?プロデューサーの権威関係で手出し放題じゃない?」っていう構造が透けてみえます。皮肉な事にモンスターであるクロちゃんがプロデューサーを演じることで若干マイルドになるという倒錯現象が起きていますが、テレビカメラが回っている「あの」クロちゃんであんな感じになっているんだからきっとテレビカメラのないところでは何が起きているのかわかったもんじゃない。きっともっと恐ろしいことが起きているっていうことが暗示されていると勝手に受け取っています。このことは以前のMONSTER HOUSEでも同様で、もはやクロちゃんというモンスターを利用して何かの構造に対して問題提起を行っているようです。来年あたりは「MONSTER 政治家」とかやって日本の闇に切り込んでみたらどうでしょうか。

 

これだけ褒めたので問題の本質であるもやもやについて。

この企画の最終回は生放送でCDの売り上げによってクロちゃんの今後の処遇が決まるというものでした。結果としてはプロデューサー解任+罰という結果になり、プロデュースしていたアイドルが曲を披露する傍ら熱湯と冷水に交互に逆さ吊りで漬けられるという、現代でこれがテレビ(しかも生放送!)で放映されることが相当驚きです。

ただ現在のところこれといった大きな問題になっていないのは番組制作の構造作りがうまくいったから。クロちゃんという絶対的な悪の存在を懲らしめる、という水戸黄門ばりの勧善懲悪の構造ができあがっていて、おそらくクロちゃん以外の芸人があの罰を執行されたら「可哀想」が先行して、真っ先に苦情が入るところでしょうが、そうならないのは前述した通りクロちゃんの抜きん出たキャラクターによるものかと思われます。

ただあの画面に違和感を持った視聴者は自分だけではないはず。中世の拷問ばりの刑が執行されている傍らでアイドルは何事もないかのように歌い踊り、客もそれを見ています。いやいやいや、目の前で人間が逆さ吊りになっているんだよ?(笑)

人間の平常心どうなっているんだ、と思わざるをえないわけです。多分勧善懲悪の構造にしっかりはまった人は特に違和感を覚えなかったのではないでしょうか。自分は流石にこれはどうなの?って思った側です。生放送ということもあって劇場型の、視聴者を巻き込むような番組を見たことがあまりないのでそれ自体には興奮します(録画でしたが)全盛期の、元気もお金もあった(コンプライアンスはない)頃のテレビはこんな感じだったんでしょうか?自分には生まれる前の話なのでその辺はよくわかりません。

 

こんなことを言うのも野暮かもしれないですが、クロちゃん解任は規定路線だったんだと思います。あのままプロデュースを続けても今ほどの話題性は続かないだろうし、前回の企画同様クロちゃん企画は短期集中型なので、定期的にプロデュースの様子を番組で紹介するのも水ダウらしくない気がします。仮にそれで時間水増しするのは末期の番組ぽいですよね。人気の企画にバッサリ見切りをつけるのもうまいですよね。だからこそ、クロちゃんブランディングが成功しているとも言えます。おそらく来年も何か企画をしていることでしょう。番組が続く限り毎年の恒例になるんでしょう。

いずれにせよプロデューサー業の廃業は目に見えていたので、WACKの方で引き継ぐことになっていたんでしょうが、あの交代のシーンとメンバー追加のシーンが少し気持ち悪かったというか、WACKファミリー?とでもいうんでしょうか、BiSH以外のグループもわーっと出てきて、あれなんか意味あったんですか?ただの広告でしかなかったように思います。あと落選したアイドルでもカエデだけ異常にピックアップされ続けクロちゃんの「被害者」という視聴者の同情をひきつつも、メンバーに復帰するというポイントに一種の「カタルシス」を視聴者は感じたのではないでしょうか。自分は「でしょうね」っていう、だって「罰を執行する」っていう大義名分でわざわざあの生放送企画に呼ばれるわけないし、結局罰だけ執行させて帰らせるっていうのも釈然としないわけだからこれもやはり規定路線だったと思わせるポイントになっているんだと思います。問題は見せ方で、誰しもそうなることがわかっていたことだったとしてもあの「白々しさ」はなんとかなったんじゃないかと

あのシーンがなければ企画としてまだ綺麗に終わってたのかもしれないですけど、WACK全面協力のもと今回の企画があって、番組側も全面的に広報の役割を担う。まさにwin-winの関係。そのズブズブがあのシーンで見えてしまったのが美しくないと思いました。きっとこれからゲスト出演増えるんだろうな~。

 

冒頭で述べた通り僕は水ダウのファンです。正直やらせ云々に関してはどうでもいいというか、面白かったらそれは演出なんじゃない?って思うようにしています。ただ今回の企画は面白かった「けど」若干の違和感が残るというか、もやもやするところがあった、ということです。コンプライアンスとお笑いの瀬戸際を歩き続ける水ダウだからこそ、長く続いて欲しいと思っています。わけのわからない苦情クレームで終わらないことを祈るばかりです。