「好き」が試される
少しずつ前に進んでる感覚が欲しい。
研究者ってのはなんて辛抱強さを求められるんだろうと、
修士論文を書いていて思った。
去年のデータとってる時はそれでもまだ前に進んでる気がしていたけど、
フィールドから戻ってデータを扱う段階になって固まった。
この膨大なデータを一体どうしたらいいんだっていう。
いろいろ考えを巡らせてはいるものの、というかそうしてる風にはするけど、
何も進んでない。無重力空間でただ浮いてるよう。
ただ自分が大学院にいてよかったなとそう思えたのは、
いろんな人と話したりとか授業にでる中で、ヒントだったり、
何か手がかりになるものがあって、それを手繰り寄せていく毎日。
雪だるまじゃないが、小さな塊がどんどん大きくなっていくように、
漠然としていた何かが徐々に明確に、形あるものになっていく感覚が
ようやく最近出てきた。この段階になってようやく楽しい。
生みの苦しみとはよく言ったものだが、ある段階まで行けば、
楽しみを感じることができる。あぁ何とか行けそうだ。
バンドもそうだけど、研究者もつまるところ、
「好き」が試され続ける場所だと思う。
「好き」に語弊があるとすれば「こだわり」?
そのこだわりの強さで、留まり続ける人、去っていく人が出てくる。
結局偉大な人は、続けられる人何だと思う。
脱落者がたくさんいる中で、続けられた人たちが第一線で活躍している。
研究が楽しいと思える今は続けてもいいかもって少し思えてる。
楽しくなってきたなー。
今は時間が大事だ。