A fact of life

25歳 院生 直面している現実

くそ英語教育:「日本で」英語を学ぶ編

さっきお祈られた腹いせに英語教育の文句書いてたら

筆がのってきた、もとい指がのってきたでもう一つ文句書いてこうと思う。

 

日本の英語教育はくそだなんだというのは簡単だと思うんですよ。

自分も学部生の時は無責任に批判しまくってたし。

んで英語教育に限らず教育問題について語る時って大体の人が

自らの被教育経験から語ってることがほとんどなわけで(これは広田照幸さんの本に書いてありました。興味ある人は調べてね。本の名前忘れた)

だから教師批判も自分が今までに自分が出会ったクソ教師を引き合いに出して、

今の世の中にいる教師全員が悪いみたいな言い方をする人がいるわけです。

なんで教育について語る時はそうならないように常に自覚的になろうよっていう前提はここに書いておきます。

 

日本の英語教育駄目だって言われること多いんですけど、うまくいってる部分もあるっちゃあるんですよ。当たり前なんですけどいい面悪い面両方物事にはありますから。

ただやっぱネットの炎上とか見てると基本的には悪い側面の方が見られやすい語られやすいので悪いことばっか話題になっちゃってて。

この辺は時間あるとき、気が向いたときにでもまとめられればと思います。

んで、まず考えなくちゃいけないのは「日本の」英語教育っていう、

日本でやるっていう文脈は忘れちゃいけない。

英語教育のかなり大部分の元になってる第二言語習得論(Second Language Aquisition)

ってのがあるんですけど、これっていうのが言語学的なアプローチから始まっているんです。第二言語って言葉が厄介なんですけど、例えばアメリカ合衆国で他の国から移住してきた人たち(母語は英語以外)が学習する場合も第二言語習得になるわけです。

母語は親が話す言葉で、母国語は生まれた(生まれ育った)国で話されてる言葉です。

日本であればこれが一致するケースがほとんどですが、先ほどのアメリカでのケースは母語と母国語が変わるケースがあります。親はスペイン語話してるけど、学校とかいけば英語話すみたいな。

それでSLAはそういった背景とかの国で多くの研究がなされてきているんですが、

日本とアメリカって今指摘したみたいに背景が全く違うじゃないですか。

子どもが通う学校では英語が話されてるケースと、日本みたいに生きてる限りほぼ日本語しか耳にしない話さないっていうのは同じ土俵で語るべきじゃない、というか語れない。言語学とかはそういう文脈を度外視して、国とか性別とかいろいろな要素を抜きにして「人間」が言語を学ぶとかそういう話をしているんですが、果たしてそれはどうなのと。そして自然科学的な発想のAをすればBの結果が出る。的な俎上に学校での授業を乗せてもいいのかっていう話なんですね。これも前提でしかないですが。

 

昨今の風潮としては「グローバル化」の名の下に国際化が叫ばれて久しいですが、

実際に自分の生活の範囲の中でそれを実感できる日本人はどれだけいるんでしょうか。

いてもせいぜい1パーセントにも満たないと思います。

その1パーセントはおそらく海外でバリバリに働いているエリート層。

もしくは英語教育に携わっている「英語屋さん」くらいだと思います。

(いや英語屋さんは英語しか関わってないから国際化と呼べない?)

ただ政策上だと、みんなにグローバル化関係あるよって言ってあげたほうが色々と都合がいいんで(小学校外国語必修化とか)危機感を煽るわけです。

そういった言説に敏感なのは誰かといえば、そう保護者です。

だからバカみたいに高い金払って幼児の段階から英語教育をしたりするんですね。

それように幼児にも効果あるバカ高いキットみたいなものを売りつけてる業界もどうかと思います。ただ騙されてるのは親だけじゃなくて某聞くだけで話せるようになる系の教材なんかもあるから。(苦労しないで身につけるとか甘いこと言ってんじゃねえ)

まぁ要するに生活レベルに関わってくるわけじゃないから必死こいて英語やろうってならないんですよ。(実際できる人には日本はとことん甘い社会だと思いますけどね。)

 

一方でよく引き合いに出される中国韓国なんかは必死です。というのはやはり高等教育がその国の言語でどれだけ充実してるかとかも関わってくると思うのですが、エリート層はどの時代も海外で学んできます。日本はといえばなまじ日本語で充実してる分(ある程度までは)日本語で学習ができるわけです。私の経験からいえば大学院レベルになると英語で論文読むほうが多い。でも学部レベルだったら正直日本語でも事足りるのかなーって思います。大学院入ってから中国韓国からの留学生に会いましたが、日本語も喋れる上に英語もめちゃ流暢。何より発音がいいなーって思います。羨ましい。

日本語の充実は歴代の日本人の功績だと思いますが、それに甘んじてしまってるのも現実です。(日本語文献あったら日本語のほうがそりゃ読みやすいですよえぇ)

てな訳でバリバリの日本人エリートか、ある程度のレベルに達した研究者はやっぱ英語が必要です。(自分もそうだと思いたい!)まぁ研究の先進国が英語以外だとその言語を勉強する羽目になるわけですけど。(「日本人の九割?に英語はいらない」って本うろ覚えですけど詳しく書いてあったと思います。)

上述した話から日本の英語教育を擁護するとすれば、読解に関してはそこそこの大学に受かるためにはきっちりかっちり勉強している(はず、指定校推薦、エスカレーターは知らん)ので、最低限英語「でも」読めることは担保されてると思います。

そこのところは割と誇るべきなんだと思うんですけど、現代社会においては研究者でない限り英語「読解」のスキルっていうのは重宝されないんです、悲しいことに。

大学が「研究機関」であるとすれば一番重宝されてしかるべきなんですけど、「就職予備校化」しつつある大学だったら、業界が一番欲しいのは英語を「話せる」人間になるはずなので、研究者みたいな人間は業界からはモテない。採用されないわけです。

この辺の社会的な文脈も踏まえて色々英語教育について考えていけたらいいんですけどね。今日はとりあえずここまでで。