A fact of life

25歳 院生 直面している現実

敗北

就活全滅

 

自分で言う就活は私立の学校で、それぞれ選考基準が違うが、

二つ書類落ち、一つは筆記落ち、一つは面接落ち。

まさに今日最後の面接の結果が出たところで、全滅することになった。

これだけ負けたのは正直高校三年生の大学受験以来。

あの時から変わったようで変わってなかったのは、

やはりどこかナメていて一つくらいは受かるだろう。

みたいな甘い打算があったことには変わりない。

何となくで受けてみて、落ちる。

浪人した時にじっくり考えて受ける大学を考えて、

ようやく一つの大学に、第一志望に受かることができた。

のにそのことをもうとっくに忘れてしまっていたよう。

 

人生っていうのは実際長い。

二十代半ばで語るなんておこがましいけど、

大学受験では私立K大学に受かり、大学院は日本で一番有名な大学に入った。

正直ここまでみれば人生の勝者とみなされることは多いけど、

そこで終わりじゃないんだ。むしろそのあとどんな仕事をしているかっていう

ところが重要になってくるわけで、そのステージにまだ自分は立てていない。

 

大学院生になった時は将来像をちゃんと描いておらず、修了したらとりあえず中学、高校の教員にはなるだろうとは思っていたけど、自分の中での納得を優先するがあまり、一年在学期間を延長して留学することに決めた。この留学自体も大学院に入った段階で決めていれば一年伸ばす必要もなかったかもしれないし、なんなら半期だけじゃなくて1年間いけたかもしれない。

しかも就活して思ったのは明らかに留学してから受けた方がいいわけで、

これから留学するっていう予定じゃ言葉に何も説得力を生まないことは明らかだった。

 

それで昨日の面接の話で、英語科の教員だから英語の先生が英語で話しかけてきて、

英語で答える、っていうそれ以外は普通の面接だと思う。

その前にいろんな人に激励を受けていて協力をしてもらい、なんなら美容院の人とかにも頑張ってくださいね!みたいな。(就活失敗するなら髪切る必要なかったし切らなきゃよかった)

そんな状態で迎える面接はめちゃめちゃ緊張して本番の前にえづきまくってた。

本番は割とちゃんと話せたと思う。

問題は英語で、もちろん何を言ってるかわかるんだけど、

自分が答えていることがとりあえず喋ってるだけで意味をなしてない。

面接終わったあとでそれを思い出してすごい嫌な気分になってた。

翌日(つっても今日)には結果が出るっていうことで、

もう何も手につかない状態。(ゲームはできた)

3時くらいになって結果が出て、今まで同様お祈られメール。

「あぁ、やっぱり。」ってどこかで思ってる自分がいて、

これで受かってたらそれはそれでどうなんだろうって少し思ってた。

ただとにかく応援してくれた人に対しての申し訳なさみたいなものが

すごくのしかかってくるようで辛い。

これまで受けた学校では正直全くそんなこと思わなかっただけど、

唯一本気になって受けてたんだなぁと。ひしひしと。

結果論ではあるけど、面接は消化試合みたいなもんで、

多分もう書類の段階である程度決まってたんだと思う。

自分があの時どれだけ流暢に英語で話せていたとしても結果が変わっていたかは

正直わからない。でも受かってはなかったと思う。

推薦状も描いてもらったからお情けで面接まで通してもらったような気さえしてきて、

自分の無能さにずーーーーんってなってるわけです。

 

院生の話に戻って。

ただこんな状態であっても一応肩書きとしてはまだ院生だし、

来年度は博士への進学っていう一種の保険がかかってるから、

そういう意味ではまだ社会的な身分は残る。

そこが浪人生の時との違い。(浪人生は一応は専修学生扱いらしいけどね。)

ここで改めて思うのは研究者としていろいろなことを知っていけば知っていくほど、

現状の社会に対する認識は変わっていって、おかしいとか思うんだけど、

そうなればなるほど、社会的に「労働力」としては扱い辛い人間が出来上がっていくわけで、これは一種のジレンマのような気がします。

自分はまだ教育が専門だから教員になるっていうセーフティネットのようなものがあるからいいですけど、他の研究領域の院生とかいよいよ就職難しくなる気がする。

ただ自分が直面しているのは教育現場の研究者と実践者の乖離があるわけで、

そこを考えるとあんまり現状の教育現場を肯定するわけにもいかないなーっていう。

英語教育で言えば、結局英語が堪能で得意な人が英語を教えるっていう状況は変わらないわけで、自分みたいにずーっと日本で育って苦労しながら英語を培ってきたような人間っていうのは働けない。(自分の努力不足は一旦棚にあげておきます。)

この社会の構造は変わらないし、多分日本人はずっと英語が苦手で、できないままなんでしょう。

今すごい岐路に立っている気がして、このまま来年も就職活動を行って、

どっかの教員になろうとするのか、それとも研究者として生きていこうとするのか。

これはグレイモンがメタルグレイモンになるのか、スカルグレイモンになるのかくらいの違いがある。

研究者っていうのはある種スカルグレイモンみたいなところがあって、

世の中の仕組みを考えたり捉え直したり、いわゆる「普通」じゃできない仕事だと思うし、良くも悪くもですけどどこか世間一般からかけ離れた存在なんじゃないかと。

自分は今この岐路でどうしようかなーってやってる状態。

幸いなことに半期の留学というさらなるモラトリアムが待ち構えているから、

その間でどっちに進化するかを考える猶予が与えられているわけです。

 

最後にとにかく今の状態を一言で表すと悔しいんです。

ようやく悔しいと思えました。就活してて。

どこか本気になりきれていなかった自分の存在には気がつきつつも、

実際に負けてみないとその実感は湧いてきませんでした。

浪人生の時と同じです。あの時悔しくて死ぬ気で1年間頑張ったあの感覚は、

どうやら10年も経たないうちに忘れてしまった様子。

ただ今回は1年間なんて長くはないけど、その悔しい状態のまま

留学を迎えることができるということ。

「適度に」遊びつつ、あっちでいろいろ考えていきたいと思う。

 

あー人生ってそんなにうまくいくモンじゃないんだなー。