A fact of life

25歳 院生 直面している現実

大学院3年生と「社会人」と、それからお祈りメール

大学院生は迷ってばかりだ。

世間一般的な大学院生のイメージはどんなものがあるんだろう。

勉強が好きで、なにかに没頭している、そんな雑然としたイメージが入院(大学院に入学すること)する前にはあった。

実際の院生の生々しい、血の通った生活はというと。

文献読んで、発表して、議論しての繰り返し。

その傍バイトしたり、遊んだり飲みに行ったり。

学部生よりは本を読むようになったこと以外には生活面で

大きな違いはないかもしれない。それどころか朝早く起きる必要があまりなくなって、

むしろ11時過ぎに起きて13時に登校する。夜は酒飲んで映画見て寝落ちするみたいな、

自堕落な生活です。

そんな生活を自分は愛している。自堕落だとわかりつつも、

自分のやりたいことやって、本読んで、授業にでる生活は自分には

とても楽しくて、学部生のときには満足できなかった知的好奇心を

初めて満たせたと思った。

本来は2年で修了するはずだったんだけど、そんな感じで

他にもバイトとか休学とか留学とかいろいろ寄り道してたら1年延長してた。

まさにモラトリアムの謳歌

世に言う「人生の夏休み」は大学生の特権かと思ってたけど、

とっくにみんな(高校大学の同級生)は9月1日の向こう側。

自分はまだ8月32日以降を生きてる。バグってるね。

 

話を戻して、今が3年目の6月な訳で、

さすがに来年の3月には退院(大学院を修了すること)して

社会で働き始めなきゃなんて思って就職を考えるんですけど、

あんまり気乗りしない。修論書きながら資格試験は身が入らない。

入院生活の中でぬるま湯に浸かりきった自分が、いざ働くっていうのも

なんかなぁ。

もちろん働かないと食ってけないってのはわかってる。

ただ実家暮らしの子供部屋でいまも生きてる自分は、

食えない経験をほぼしたことがないし、危機感も覚えない。

でもなんとなく家から出たいとも思ってる。

四人家族の長男、息子をやってるのも息苦しい最近。

もう家族の役割を演じていられない。

「社会」では高校の同級生は四年前から働いてるし

大学の同級生どころか後輩も続々働き始めてる。

なんかみんなすげーなって。「社会」ってところで働いてる。

そろそろ俺も「社会」で働かないといけないんですか。っていう。

みんな「社会」で「社会人」になってく。

 

俺も「社会人」になるのかぁ、なれんのかぁ?

 

まさに今日つってももう昨日か。

お昼頃に先週筆記試験を終えたところから一つ

お祈りメールならぬお祈り封筒が届きました。

この時代にわざわざ封筒送ってきやがる。メールでええやろ。

初めてお祈られて、お祈りメールの存在は知ってたけど、

いざ祈られるとすっごい腹がたつ。

し学校のテストみたいに結果が開示されるわけじゃないから、

なにが原因だったかわからない。

どこに自分のダメなところがあったのかわからないから、

この先自分はダメなところ、ダメだと思われたところを

抱えながらまた違うところを受けなければならない。

それってすごい気持ちが悪い。自分のダメなところを探し続けるって

それもう自己否定もいいところですよね。

自分を、自分の人生を否定された気分。

クソ会社さんよぉ。

 

でも改めて、考えてみて、

やっぱ俺「社会人」なりたくねーんだ、って思っちゃって。

やっぱまだ勉強っつーか、研究続けたいんだって思ってて。

入院生活は閉塞感との戦いでもある。息苦しい。

周りが「社会人」になってバリバリ働いてる中

まだ「学生」のラベルを張りつつ暮らしていくのは肩身が狭い。

きっとこれが「社会」の圧力?皆から「まだ学生なの?」って思われてる。

そうだとしても多分自分はそうとしか生きれない側の人間だと。

高校から大学へ、卒業後就職して定年まで働いてって、

いやいや無理無理、もっと違うことしたいもん。

高校出て一年浪人して大学入って、大学院入って、一年延長して、

今更「社会人」ぶるの無理でしょ。もう。

「そうじゃない」生き方をしていくよ、俺は。

 

就活やめた、博士進む。