A fact of life

25歳 院生 直面している現実

ブラックVSゆとり

「ゆとり」っていう言葉、自分は好き。

「ことり」みたいで可愛くない?可愛くはないか。

今は蔑称として使われることが多いけど(主にインターネット)

自分自身はゆとり世代真っ只中で育った人間だから

まさに「ゆとり」なんですけど。

宮藤官九郎作品の『ゆとりですが、何か」っていう作品の中で、

ゆとり世代の主人公が「ゆとりなんか感じたことねーよ!」

っていうシーンがあってハッとした。

(あらかじめ断ると世代でくくる世代論は嫌いですが、便宜上)

確かに前世代のいわゆる「詰め込み世代」と言われる教育の反動として

授業量削減、授業時間削減して「ゆとり」を生み出そうっていう

単純な話だと仮定すると(本当はもっと色々ある)

自分みたいに最初から「ゆとり教育」できてたら何かと比べようもないわけで。

毎日必死で学校行って、部活行って、帰った後塾行って…

ていう学生時代はあんまり「ゆとり」感じなかったなぁ。

ましてドラマの話に戻ると、大学受験とか

リーマンショックに端を発する就職氷河期だったりとか、

ストレートに大学入学して、就職した人が余裕感じる暇なんてあるはずもなく…

まぁあくまでドラマの話でしかないが、

1年間の浪人生活とか、今まさに大学院生活してる自分から、

ストレートに進んでる社会人の友達を見ていると、すごいなって思う。

浪人生活も、大学院生活もそれなりに必死にはなって生きてはいるけど、

「ゆとり」はある。今日何をしよっかなって考えることができたり、

夜目覚ましをかけないで、朝起きる時間を決めないで寝る幸せたるや。

某一流大学にストレートで入ってる友達はやっぱり小中高と塾通い詰めだったり、

有名進学校でゴリゴリ勉強してた話を聞くと、

自分の中学高校時代はゆとりで溢れてたと思う。

(授業中にゲームしたり漫画読んだりをゆとりと言っていいのかはわからんけど)

話があっちゃこっちゃしたが、今の学生も昔の学生もそれなりに忙しいのだ。

塾で教えてた時思ったが、大学生のがよっぽど自由に使える時間があると思うのだ。

毎日学校、塾、習い事の繰り返し。

子どもの時から塾に通ったり、習い事をしないと立派な大人になれない!

っていうのも一理ある。でも「ゆとり」はないよね。

学生時代からブラック企業社畜さんみたいな生活を叩き込まれてる子どもには、

本当に「ゆとり」をあげたい。

どうせ大人になったら嫌でも働けるんだからさ、

学生時代からそんな生き急がなくたっていいじゃん?

部活動も習い事も塾も、それから学校生活も、どれも大事だけどさ、

そこに「ゆとり」があってもいいじゃん?

将来的に「ゆとり」が蔑称じゃなくて、

本来の肯定的な意味を取り戻せたらいいと思う。