A fact of life

25歳 院生 直面している現実

解放感と書く事とそれに付随する何か。

「解放」

この言葉から連想されることはなんだろう。

自分はまさにこの解放を感じている。

三つやてっていたアルバイト全てを辞め、大学は夏休みに入って、

今月の下旬からは海外で留学。

留学までの日本滞在時間およそ20日は締め切りにも追われず、

好き勝手やる事ができると思う。

たかがアルバイトと思うかもしれないが、あなたが働いている社会人としての仕事だって変わらないですよ。きっと。決められた時間に決められた場所に行って働く。

そこに裁量があるか、指示を仰ぐのか、社会保障はあるか、その程度の差異しかないんだと思います。社会人になったことないからわからんけどね。

 

ここまでは本題ではないんだけど、

こんなに解放された気分は多分浪人が終わった後、大学生から大学院生になる瞬間ぶり。いや修論執筆という大義名分はあるんだけど、少なからず似たような解放感を味わっているのは事実。

おととい辞めたアルバイトは、大学院に入ってから1ヶ月後くらいにさすがにバイトしないとやばい。といって始めたアルバイトで、自分のやってきた事が活かせる事と、

時給がそこそこ高い事、そこそこ近い事。それだけを理由に始めたバイトでした。

正直不満たらたらで、未練もないといえばないんだけど、さすがに2年近く働いていたらまぁ少なからず愛着?と言っていいかはわからないけど、思うところはある。

それは悲しい、とかっていうよりも毎週毎週通っていたところにいかなくなるんだなっていうどこか喪失感のようなもの。悲しいではない。

行こうと思えばいけるんだけどね。

 

仕事が始まる前に、職場の近隣にある本屋さんで暇つぶしがてら本を一冊買おうと思った。あまり大きい本屋ではないけど、雑貨なんかも置いてあって少しおしゃれな外観をしてる本屋さん。

最近文章を書いている事も多いから、それに関連した本が目に入った。

三冊の本が並べられていた。ポケモンの最初の三匹から一匹選ぶみたいな。

一冊一冊をパラパラめくって自分が面白そうだと思う一冊を選んだ。

仕事場に行って人を待っていてもこない。

まぁ遅刻はいつもの事だからさっき買った本でも読みながら待つ。

面白かった。

いわゆるハウツー本ではないが、「書く」事にまつわるいろんな事が書いてあった。

本を読んでいるといつも作者の事を考える。

自分の考えている事、良いと思う事、悪いと思う事。

そこの領域?みたいなところから外れてしまわないか。

外れてしまえばもう多分その本も、その作者の他の本は読まないだろう。

今回はそう思う事なく本を読み終える事ができた。

時系列でいうとその本を二章分くらい、時間にして30分くらいしてから、

相手は来たのだが、次の日にちゃちゃっと読み終えてしまった。

 

一番心に刺さったのは、「自分が正しいと思うことの証明がしたい。」

という言葉(ちょっとうろ覚え)だった。

「書く」という事が内包しているのは、少なくとも自分が思っていること、考えている事を誰かに伝える事もそうかもしれないが、確かに自分が正しい事を証明する、ということは、研究者の端くれである自分にも響く言葉だった。

自分はそれがしたくて、誰かもわからない、そもそも誰も見ていないかもしれない

こんなところに文章を投げ続けていたのか。自己満足でしかないかもしれないけど、

自分という人間一人は満足させられているけどね。

これからはもっと広く届けたいとも思うけれど。

読んだ本に書いてあった事は、同感できる事ばかりだったから、なんだかそうやって人に届けられている作者が羨ましくもあったりした。

 

話を戻して解放感についてだが、

この解放感も多分後1週間くらいすれば自分を苦しめる牢獄になる事を知っている。

何もやる事がないというのは、何もしなくてもいいという事でもある。

何もしなくていいというのはなんだか社会から切り離されているようで、

自分の居場所がない気がして寂しかったりする。

アルバイトでも正社員でもなんでも働いていたら場所はあるわけで、

大学生から大学院生になるまでの数日はどこにも居場所を感じられなかった事を

今になって思い出す。あの時はなにも、どうしようもなかったけど、

この解決策を今ならわかる。

「書く事」である。書いて書いて、自分の存在を証明していく事である。

つまんねー面白みの欠片もない人間がたくさんいる限り、

自分の存在価値を諾う事ができるんじゃないかっていう希望が生まれる。

(自分の面白みは棚に上げておきます。)

何はともあれ今日から8月だ。解放感に身を任せすぎず、

やることはやって、留学を迎えたいなと思ってます。はい。