A fact of life

25歳 院生 直面している現実

夏休み、あるいは消化試合

今日も今日とて夏休みの消化試合だ。

消化試合というのは、特にやることもない休みが続いて暇なことを形容している。

つまり休みに飽きたのだ。

小学生、いや幼稚園児から夏休みというものを与えられて今年で20年目?くらい、

いわば夏休みのプロと言っていい。

ふと思い返せばそれほど夏休みが終わることに嫌な思いをしたことがない気がする。

むしろ8月末になると同じ日々の繰り返しに飽きて学校に行きたくなってた。

今もまさにそうである。早く学校が始まってほしい。

夏休み終わるのが嫌な子もいれば、夏休みが終わるのを待ち遠しく思っている子もいるわけで。そういう子はきっと「学校」という社会の中で楽しく生きてるということなのだろう。

大学生になって、8月31日が終わっても夏休みは終わりじゃなくなって、

最初はすごいお得なような気もしていたけど、平日の閑散とした街を歩いているのも、最近はなんだか居心地が悪くて。罪悪感?

皆働いているのに何もしていない自分という対比を思い起こされるからだ。

学校に通っている時はそうは思わないのだが。

きっと自分は暇な時間を過ごしているよりは、大変でも少し忙しい毎日を過ごしている方が性にあっているのかもしれない。

今年の春休み、どこも行かないでずっと家と近所の喫茶店を往復する生活は相当精神にきた。(自分の中で大学四年間の反動の充電期間と呼んでいる)

夏休み終わるまであと3日。

こんなこと思っててもこんな日が恋しい、羨ましいと思う日がくるんだろうか。